南アフリカホームステイブログ

南アフリカでホームステイするアラフォー備忘録。時には厳しくめった切り、時にはハートフルな感動をお届け。気まぐれ男の気まぐれブログ。

④「世界の笑顔のために」プログラム[後編]

【楽器、知育玩具の到着】

12月に「世界の笑顔のために」に公募した物品が届いていると南アフリカ事務所から連絡がありました。どのくらいの寄付があったかを尋ねると、思った以上に多くの寄付が集まっていました。多くの方が南アフリカの障害者施設に興味を持ってくれたようで、大変ありがたかったです。

具体的には知育玩具6個、ピアニカ30台、リコーダー9本です。

一方で『やばい』と直感的に思いました。

特にピアニカ30台、リコーダー9本です。よく考えてみるとピアニカもリコーダーも小学校以来触っていません。

かれこれ、30年位前のことになるのです。

自分で吹くくらいなら何とかなるかと思うのですが、彼らに教えるとなるとかなり工夫が必要です。

さらに、基礎教材がなく楽器を現地語で教えるとなるとかなり準備が必要です。

とにかく、何とかしないといけない・・・・。

「そうだ!他にも楽器を教えている隊員がいるはず・・・教えてもらうのが早い」と考えました。

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【協力者】

早速ネットが繋がる時間に探しました。「いました!エジプト隊員の小学校の先生。FBでタイムリーに笛の投稿をしていました」

すぐに連絡しました。訓練所時代は彼女の笛が私の塔まで聞こえていました。なぜか彼女は当時、私の部屋の隣人のマッサージをよくしていました。

まあそれは関係ないので割愛します。彼女は快く教え方をレクチャーしてくれ、丁寧に教材データまで送ってくれました。

幸い私のエリアは、ネット環境があったので彼女の助言とデータをすべて受け取ることが出来ました。さすが先生です。基本をしっかり押さえた教え方をされていました。勉強になりました。

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【カリキュラム】

早速リコーダークラスを作ることにしました。軽度の障害者のクラスで教えます。

8人を一度に教えることは厳しいので、ある程度の段階で、レベル分けをして3人ずつ教えることにしました。

リコーダーもピアニカも息を吹くのと指を動かすのが同時作業となるので難しいはずです。

運指表を作って説明しながら、基本を教えていくことにしました。

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 【リコーダークラス始動】

教える順番は「シ」からです。

シラソの順で教えます。左手のみで出来る音階です。

右手親指はかならず添えてもらいます。

添える場所も決まっています。他の指で穴をふさがないように・・・。

 

基本シラソのみで吹ける曲で勝負だと思っています。

右手が上になる子どもが多いので、初めは左手になっていますか?

指番号0と1かな?

右手親指は下にある?としつこく繰り返します。

 それと、しっかり穴を塞ぐことも指導します。

開いていたら空気の抜ける高い音が出てしまいます。

 これは、全て助言通りの展開です。

タンギングも!

トゥートゥーで吹く。フーフーはダメだよと。

よーく聞いて、同じ音を出そうねと、わたしが吹いた後に繰り替えさせます。

流れはこんな感じでした。

同じことを何度もやって、翌日また忘れていて、またやって…。

翌日の準備もあるから大変です。

難しい子や集中力に問題のある子は、個別にやるか、外すかなども迷います。

担当ワーカーにも教えました。

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【カジュアルデイ(障害者デイ)課題曲】

1ヵ月が経過しました。シラソまでが限界だと思いました。そして行き着いた結論が「笛星人」。「シ」だけの曲です。ただ、リズムが難しいようです。

よく聞いてと何度も見本を見せます。笛星人の音源は日本のピアノの先生と特別支援学校の音楽先生の夫妻の協力があり、データでもらいました。本当に多くの人に助けられております。

【再び協力者の出現】

現在はピアニカも並行して教えているので、大変です。ピアニカの教え方は、エチオピアの小学校の先生隊員の協力と日本の中学校の先生の協力がありました。

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 これが草の根支援かなあ?

善意の輪でこれまで繋がってこなかった人たちと繋がり、現地の人々も私自身もモチベーションが上がってきました。

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日本で眠っていた知育玩具やピアニカやリコーダーが現地で日の目を見て、現地の子どもたちも喜んでいます。因みに、楽器や知育玩具は南アフリカのシニア隊員でお隣さん(60キロ位先の都会に暮らすPC隊員)に任地まで運んでもらいました。

いつもお世話になっております。

この事業は素晴らしいと思うのですが、来年度からなくなるとの連絡を受けております。

多くの人たちが笑顔になるという素晴らしいプロジェクトだと思いましたが・・・。

削減対象の事業となり非常に残念です。

③「世界の笑顔のために」プログラム[前編]

【「世界の笑顔のために」プログラム概要】

このプログラムは、JICAボランティアが派遣されている国や地域の人々が要望する物品を、日本国内で募集(対象:無償中古品)、収集し、現地まで輸送するプログラムです。ボランティアを介した物品提供としてだけではなく、日本国民が物品提供者として身近に国際協力へ関わる機会を提供するプログラムとして位置付けられています。うちのデイケアセンターでもこのプログラムを利用したので、その報告をさせていただきます。f:id:qqev8yda9:20180326234852j:plain

【プログラム実施理由】

私の働いているデイケアセンターは障害児者の食事、排泄を含めたケア、歩行訓練、学習プログラムなどを提供しながら、月曜日から金曜日まで84名の利用者が通う施設です。

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現在、デイケアセンター利用を希望する待機利用者も多いのですが、体制上、すべての利用者を受け入れるのは困難な状況です。ケアする職員は5名体制です。

その為、十分な個別支援やプログラムが出来ていない状況でした。

そこで、どんなプログラムを提供すればよいかを考えていました。

ある日、「世界の笑顔のために」の実施概要が届き、カウンターパートの施設長とその中身について検討しました。普段の子どもたちは音楽やダンスが好きで、イベントなどで音楽が流れると自然に踊りだします。個々に自由にダンスをして楽しそうですが、皆で協力して何かを達成するという機会が少ないと感じていました。

最終的に楽器演奏で協力して音を奏でてみようという結論に達しました。

重度のクラスも楽器を使った音楽セラピーのようなプログラムは喜ぶのではという狙いもありました。

うちの施設はピアニカ、リコーダー 、知育玩具に応募することにしました。 f:id:qqev8yda9:20180326235920j:plain

デイケアセンター概要】

デイケアセンターのプログラムはクラスごとに分けられており、大きく5つのクラスに分けられております。拘縮で寝たきりの利用者の多い最重度クラス、身辺自立していない 脳性麻痺の低年齢児中心クラス、身辺自立しているが、読み書きができず、プログラムに介助が必要な3クラスの計5クラスです。  f:id:qqev8yda9:20180327000748j:plain

【楽器、知育玩具の贈呈式】

デイケアセンターはこれまで楽器を持っておらず、イベントの出し物も合唱と踊りがほとんどでした。

音源はスピーカーです。子どもたちは、生活の中でほとんど、楽器に触れる機会がありませんでした。子どもたちに、楽器に触れることはあるのかを聞くと、一部の子どもが、日曜日の教会でピアノに触ることが出来ると答えたくらいでした。

そして、ついに1月中旬にピアニカ、リコーダー、知育玩具が届きました。子どもたちは目をキラキラさせながら、どんな音が鳴るのかと興味津々でした。 f:id:qqev8yda9:20180327001935j:plain

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もちろん、全員、ピアニカ、リコーダーは初めてでした。

そこで、私が楽器の紹介を兼ねて、皆が集まった際に南アフリカの国歌をピアニカで吹いてみました。「おーすごい」、歓声と拍手に包まれました。

その後、職員たちと大切に使うことを約束し、今後、週3回のプログラムでピアニカとリコーダーを練習することとなりました。

吹くことが難しい子も音楽を聴くだけで楽しそうです。

目標は、カジュアルデイという障害者デイのイベントで、演奏することです。今年の9月本番に向けて練習しようと職員、子どもたちは、やる気になっております。子どもたちや職員から「ありがとう」と言われ、日本で南アフリカデイケアセンターに好意を持ってくれた人からの寄贈品であることを説明していきました。       

いよいよ、これから練習です。その様子は、後編の奮闘記で投稿する予定です。

  

 

②Limpopo州の田舎生活

【職場のプログラム提案】
現在、南アフリカ、Limpopo(リンポポ)州北部DZANANI(ザナニ)という町の障害児者デイケアセンターで働いています。
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JICA に希望した赴任地域ではなかったですが、面接官は私にぴったりだと思ったようです。後の食事会で聞きました。
赴任後、職場の外観写真を面接官に見せると驚いていました。
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職場では、障害児者の食事、排泄を含めたケア、歩行訓練、学習プログラムなどを提供しながら、月曜日から金曜日まで84名の利用者が通う施設です。
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現在、デイケアセンター利用を希望する待機利用者も多いのですが、体制上、すべての利用者を受け入れるのは困難な状況です。
ケアする職員は5名体制なので、十分な個別支援やプログラムが出来ていない状況でした。
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そこで、日中プログラムの充実を目指して、知育玩具を使って個別に学習する機会を作ろうと教材作成に力を入れたり、楽器を使った音楽セラピーや演奏のようなプログラムは喜ぶのではと考えました。
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そして、日本の善意のある方々の協力で先月、日本から知育玩具とリコーダー、鍵盤ハーモニカが届きました。
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子供たちは目をキラキラさせながら、どんなプログラムになるのか、楽器はどんな音が鳴るのかと興味津々でした。
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また、施設長や職員たちも大変喜んでおりました。今回は町の紹介も含めて、簡単に報告します。

南アフリカとDZANANI(ザナニ)の紹介】
南アフリカは面積122万平方キロメートル(日本の約3.2倍)、人口約5,500万人の国です。首都プレトリア、民族の割合は黒人(79%)、白人(9.6%)、カラード(混血)(8.9%)、アジア系(2.5%)となっています。
言語は英語、アフリカーンス語、バンツー諸語(ズールー語、ベンダ語ほか)の合計11の公用語があります。
かつてはアパルトヘイトと呼ばれる有色人種に対する差別政策時代がありましたが、1994年には撤廃されました。アパルトヘイト時代は、黒人は事実上義務教育の対象ではなかったので、今日まで続く深刻な貧困の原因となっています。
アパルトヘイト撤廃後、膨大な国家予算を教育費に充て、黒人への教育が強化され就学率は95%まで上昇しました。
しかしながら、成人の過半数はまともな教育を受けてこなかったので、今日の深刻な失業率はそれが原因1つだと言われています。

私の住む地域はジンバブエの国境に近いDZANANI(ザナニ)という田舎町です。
人々は、ベンダ語を話します。
家の周りはヤギや牛、鶏が歩いているのどかな街です。
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地域はベンダという文化が根付いており、歌、音楽、ダンスを好む人が多いです。
私のデイケアセンターでもお祈りと歌で一日が始まります。
食事はブッスワと呼ばれるトウモロコシの粉を水で練ったものや食パンやマカロニ(スパゲティ)、が主食でおかずは1品であることが多いです。
主にポテトフライや牛肉、鶏肉のから揚げで付け合わせの野菜が少し盛られているような食事が多いです。
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食事はほぼ手で食べます。
また人々の生活は水の確保が1日の最重要課題で、家庭にあるタンクに水を入れるために、家族で協力しながら近隣の水汲み場で水を確保しています。
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仕事が田舎にはほとんどない様子で、都市部で父親が仕事をして、長期休暇時に自宅に帰ってくる形の家庭も多いです。
デイケアセンターに来る子どもたちは、主に送迎車を利用してきます。
夏場は40度近い日もありますが、子どもたちは元気です。

①虹の国⋅南アフリカ生活

【近況報告】
今、南アフリカにいます。
障害児者デイケアセンターで働きながら、現地の村で現地人の同僚家族と暮らしています。
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なぜと聞かれることが、多くなってきたので、ブログで説明します。

南アフリカに来た理由】
今から5年位前、日本の障害者通所施設で働いていました。
日本では特に発達障害の利用者支援に力を入れてきました。
立場的にも10年以上のベテランだったので、日々、施設の目指す方向性や後進育成に頭を悩ませておりました。

しかし、毎日の生活に追われるばかりで、利用者の処遇改善も進まず、支援者の協力も広がっていかない状況がありました。
非力な自分を嘆き、心身のエネルギーが極限まで磨り減っていました。
そんな時に、ある出会いが私を変えました。
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【師匠との出会い】
その方は当時、60代の女性の発達障害の専門家でした。
彼女は、私たちの入職依頼を聞き入れ関東から引っ越してまで、力を貸してくれました。
年齢を感じさせないエネルギーに満ちたその女性は、パートの安い給料で毎日、4時に起きて、利用者の自立課題を作ることから1日をスタートさせます。
彼女の目標は、個々の障がい特性に応じた室内プログラムの構築や利用者が自立して生きていくための手立てやしかけを作っていく事です。

見える形でわかりやすく―TEACCHにおける視覚的構造化と自立課題

見える形でわかりやすく―TEACCHにおける視覚的構造化と自立課題

支援者の理解が広がっていかない環境下で、実践と事前準備を繰り返し、コツコツと積み上げていきました。
半年が経過するころには、彼女に学びたいという人も少しずつ出てくるようになり、彼女の自宅は、発達障害の自立課題作成のための工房になっていました。
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【技術移転】
彼女は自分が学んできた経験やノウハウを他者に惜しむことなく継承し、自宅に招き入れながら、賛同者を増やしていきました。
彼女の行動力や打たれ強さのルーツを探っていくとJICAでの途上国支援の経験が大きく影響しているようでした。
いつしか、私はJICAのOB会や説明会などに参加しながら、協力隊の話を聞くようになっていました。

【支援の組み立て】
彼女はいらなくなった空き箱や広告などを利用して個々の利用者の段階に合わせて課題を作成し、状態に合わせて改修をしていきます。
また、紙と鉛筆で、利用者に向けて行動の理解を促すためのストーリーを書きます。コミュニケーションが難しい利用者は、いつしか彼女のストーリーに耳を傾け、行動が広がっていきます。

ソーシャルストーリー・ブック 入門・文例集【改訂版】

ソーシャルストーリー・ブック 入門・文例集【改訂版】

彼女は彼女のできることをコツコツ積み上げていきます。

日本でも海外でも粘り強く、発達障害の利用者理解と彼らの教育支援の普及に勤められました。
先日、彼女がニカラグアで記念切手になった画像がありました。
ODA 日⋅ニカラグア外交関係樹立70周年記念切手らしく、日本で20年分の仕事をニカラグアで3年でしたら、切手になったみたいです。
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【反省と挑戦】
私は人を頑張らせることに必死になっていた自分を振り返り反省しました。
そして彼女の泥臭さに多くを学びました。
失敗を勉強するのが人生、今ではそう思えるようになりました。
私も彼女のように困難に立ち向かう忍耐力と勇気を持ちたい。
そう思って、今、南アフリカにいます。